新嘗祭

先月NHKで放送されていたのですが、和歌山県古座川町では過疎化の中、21の神社のうち5社が氏子10人以下となって氏神様の存続に危機になっているとのことです。宮司さんも複数の神社を掛け持ちでもうこれ以上は困難だと嘆いていました。一方、わが籾山神社でも近未来にこのような状況になってしまうかもしれません。現在、約40戸の氏子がありますが、高齢者や独り暮らしの世帯が多く、神社を運営する総代(役員)、小部落輪番制で神事の準備をする宮庄屋のなり手が減っています。また、風雪や自然災害の中、神社の維持管理の経費負担もかさんできます。何とか悪循環を断ち切りたいところです。
氏神様の新嘗祭でした。餅をついて、山海の幸をお供えして宮司さんの祝詞を奏上して頂きました。今年は日照寡雨や曇雨天が交互に極端に続き、さらに今の時期は例年に比べて気温が異常に高いなどおかしな天候に悩まされましたが、氏神様のおかげもあり、無事に秋の収穫ができました。この時期は甘酒が美味しい季節で神事終了後は甘酒を楽しみました。n何とか過去から引き継いできたものは未来へと継承していきたいです。

秋の大祭

氏神様の秋の大祭、昨年は半世紀ぶりに「棒使い」が復活しましたが、今年は新たな移住者も参加して子供棒使いができました。
過疎の村にある氏子数約40戸の小さな神社ですが、移住者と地域の長老の活躍でお祭りが盛り上がりました。ありがとうございました。

 

氏神様のお祭りのお餅

明日は氏神様の「お田植え祭り」です。しかし田植えはずっと先のことで、旧暦の4月9日は今の暦では5月中下旬で、ちょうど田植えに頃になります。
といっても、ちょうど今の時期から種籾を準備するので稲作のスタートと言うことで1年間の豊作を氏神様にお願いします。
お供えのお餅をつきました。1升5合ついて重ね餅にします。あとは今時期の旬の野菜などを取りそろえてお供えすます。

氏神様の秋の大祭でした。
過疎高齢化の中、年々と寂しいお祭りになりつつありましたが、本年は若者の移住者と地区の伝統を知る高齢者との協力で「棒使い」復活がかなえられました。地区内の氏子はもちろん、多くの地区外の方も参りに来られ、多くの拍手を頂きました。
御神輿も担ぎ手が例年になく多く、とっても楽ちんでした。
また、地区有志で金魚すくい、菓子引き、型抜き、ポップコーン、ポン菓子、お菓子・ジュースの販売などの出店を復活させました。(売れば売るほど赤字になるのですが・・・・・)
祭りの後の打ち上げはもちろん、先日捕獲したシシ肉の鍋です。夜遅くまで下籾の未来について語り明かしました。

 

サバ寿司

明日は氏神様である籾山神社の秋の大祭です。
お祭りの料理といえば「サバ寿司」です。
美作の国は海から遠いので酢漬けしたサバを使ってこのような寿司にします。
子供の頃は苦手だったのですが、歳をとるにしたがって大好物になってしまいました。今年もとってもきれいなサバを入手することができました。美味しそうです。
ついでに作った巻き寿司ですが、今年も自家産のキュウリを入れることができました。露地栽培のキュウリがこの祭りの時期まで収穫できたら合格と毎年思っていますが、今年はキュウリは合格です。

正月

いつもの年のように元旦の朝はお雑煮を頂き、初詣に出かけました。
毎年そうなのですが、こうしていつもの年のようにできることが幸せなことなのでしょう。
雑煮、にしめ、栗きんとん、黒大豆の煮豆です。

初詣は近所の氏神様です。

秋祭り

稲の収穫作業も終わり、秋の実りに感謝して毎年恒例の秋祭りが行われました。
近年は土曜日曜にお祭りをする神社も多いのですが、我々の神社の秋祭りはずっと昔から10月19日です。
今年も年次休暇を頂いてお参りしました。
総代長の挨拶です。氏子数は46戸ですが、独居老人、高齢者ばかりです。

御神輿は、古く立派で、従って非常に重いです。

近年、我が集落への移住者が増加しており、今年の御神輿担ぎは非常に楽でした。
御神輿から離れて、写真撮影することもできました。
みんなで御神輿を持ち上げることも今までにないくらい躍動感あふれています。

玉串を捧げて、お祭り終了です。

3年前は御神輿があと何年できるか不安でした。
確かに高齢化は危機的な状況ではありますが、我が集落は見晴らしよい南向き斜面にあります。
世の中でいろんな事があっても我が集落は雲の上からそれを見ている不変の桃源郷にようなものだとの思いがふくらんでいます。これからもIターンもUターンも大歓迎です。